« 変則日程で会派視察に出かけます。 | トップページ | 富山県高岡市・富山市 視察報告 »

東日本大震災 被災地視察 〜宮城県牡鹿郡女川町〜

宮城県牡鹿郡女川町視察の報告。
Dscf0007
女川町へは、駅が流されたところもありますし、線路が未だ寸断されているため電車では入ることが出来ません。
石巻市の波渡駅から代替バスでの移動となります。

Dscf0005
ちょっと判りにくいですが、沢田駅のあたりで線路が無くなっています。
海岸線には、延々と土嚢が積まれていました。

Dscf0010
女川町のかつての中心部。
木造の住居等は全て流され、コンクリート造の建物がすこしだけ残っているだけです。
奥に見える茶色の建物は町民病院ですが、この1階部分にも波が来たそうで、駐車場で暖をとっていた多くの方が流されたそうです。

Dscf0015
横倒しになった、かつての交番。
杭が打ってあるにもかかわらず、基礎ごとひっくり返っています。
倒れている方向を見ると、どうも引き波でこうなったようです。

Dscf0084
この3階建ての建物も基礎ごと横倒し...。
津波の破壊力は想像を絶するものでした。

Dscf0031
山の上に建てられた女川町の仮設庁舎。


Dscf0032
災害派遣された、陸上自衛隊第15普通科連隊・第14偵察隊からの励ましの寄せ書き。

Dscf0029
アメリカ海軍の家族からの励ましのパッチワーク。

Dscf0025
他にも沢山の励ましの寄せ書きなどが掲示されていました。

Dscf0026
これは日本相撲協会からのもの。

Dscf0027
著名人のメッセージ。

Dscf0039
今回お世話になった須田善明女川町長
松田の一つ上になります。
本当にお忙しい中、また急なお願いにも拘わらず、我々の要請を快く引き受けていただきました。


Dscf0034
女川町の復興ビジョン

Dscf0036
住居エリアは、山の上に置く構想ですが、実現には多くのハードルがありそうです。

Dscf0042
被災後に設置された、復興推進課。
復興に向けての全ての業務をワンストップで行うとのことです。

Img_2229
瓦礫の分別処分場に向かう途中には、うず高く積まれた瓦礫の山が...。

Img_2227


Img_2225
女川町の瓦礫は民地に置かれている関係で、一刻も早い処理が求められています。

Dscf0081
女川町廃棄物選別処理施設プレゼンテーションルームの皆さんです。

Dscf0050
女川町の広域処理分の可燃瓦礫は、東京都が全て引き受けています。
廃棄物選別処理施設に運び込まれた瓦礫は、この分別機に掛けてザックリと仕分けした後、

Dscf0054
手作業での分別が行われています。
作業に当たられているのは、地元被災者の皆さん。
こうした地元の皆さんの仕事を奪うべきでは無いとの指摘もありますが、当事者の皆さんの声としては、早くこの作業を終えて、漁業などの元の仕事をしたいと言う声が圧倒的です。

Dscf0064
分別された瓦礫類は、定期的に放射線量の測定が行われています。

Dscf0072
これは搬出に向けての放射線量を計るサンプルを作っているところです。
様々な行程からサンプリングし、混ぜることによって平均値を出すとのこと。

Dscf0046
作成されたサンプルはこの箱に入れた状態で、放射線量を計測します。
このサンプルの数値が、全ての基準になります。
ちなみに、当日の線量は全く問題なし。

Dscf0071
さて、分別作業にもどりますが、このような手間を掛けた分別後、密閉式のコンテナに詰め込みます。

Dscf0078
コンテナを陸送用のトラックに載せて、

Dscf0080
最終的な放射線量測定を行います。
このような手順を踏んだ後、女川町の瓦礫は、JRの貨物列車で東京都まで運ばれます。

Dscf0088
女川町立女川第一小学校には、仮設住宅が設置されていました。

Dscf0085
これが以前ご紹介したヒマラヤ杉です。

以下がそのエピソード
<強く優しい男の子。優しく強い女の子>。
宮城県女川町の女川第一小学校の星圭校長が、『泣いた赤鬼』で知られる童話作家浜田広介の言葉を思い出したのは、ある女児の一言がきっかけだ。
津波で八百人超の犠牲者を出し、建物の七割近くが全壊した女川町は、県内で最も早く学校を再開した。「子どものケアは、子ども同士のふれあいに勝るものはない。
子どもが元気にならなければ、大人も元気にならない」という考えからだ。
最初の朝礼で何を話せばいいのか。悩んだ星校長は、校木のヒマラヤスギと向き合った。
校門近くまで津波は押し寄せたが、巨木はどっしりと構えていた。
なぜ、木は倒れなかったのだろう。
そうだ。子どもたちに理由を考えてもらおう…。
校長が朝礼で質問すると、男児から「根っこがしっかり張っているから倒れなかった」と予想していた答えが返ってきた。
母と姉、祖母の行方がまだ分からなかった五年生の女児にも同じ質問をした。
数十秒の沈黙の後、答えが返ってきた。
「何千人もの卒業生や多くの人たちに優しく、温かいまなざしで見つめられてきたから、負けなかったんだと思います」
優しいから強いという発想に、校長は感動し、言葉がなかったという。
被災地がこの震災で受けた打撃は計り知れないが、優しさと強さを併せ持つ若者がいれば、東北の復興は見えてくる。


今回始めて被災地の視察を行いましたが、現地の皆さんに元気が溢れていることにホッとしました。
しかし何故そうなのかと尋ねたところ、

「いつまでも下を向いてられないから」
「もう慣れちゃいました」

という答えを頂きました。

全国民が今一度、被災地のために何が出来るのかと言うことを、考える必要があります。
瓦礫の広域処理もしかりですし、もう観光でも何でも良いので、何より被災地に行ってお金を落として欲しいとの声も聞きました。

隣町の石巻市では、仮設焼却場が8月を目処に5基稼働(現在1基)するとのことですが、それでも現地の処理能力のみでは、追いつかないとのこと。

さて、女川町を訪れた翌日、環境省の担当者に現状の広域処理の状況と、米子市の置かれている状況を伺いました。

米子市の提示した受け入れ条件は下記
(1)市のクリーンセンターの処理基準に適合
(2)安全性確保
(3)焼却残さの最終処分地の確保

説明によると(3)の最終処分がネックになっているため、優先順位はかなり低くなるとの事。
この条件については、野田総理が国有林での引き受け何て言ってましたが、環境省には全くその気は無し。いったいどうなっているのか良く判りませんね。

あわせて当日発表された瓦礫の総量の変更。
この数値をみると、米子市が受け入れるとした可燃瓦礫(木くず・可燃物)の総量が255万トンから105万トンに修正され、可燃瓦礫については想定より早く処分出来そうです。

ということで、今回の視察では被災地の現状と環境省の考え方を確認してきました。

それらを総合すると、今の時点では米子市の受け入れの可能性は低そうな印象を受けました。

しかし、石巻では瓦礫からの臭いの問題や火災の心配も報道されています。

今後の野坂市長の覚悟が問われます。


|

« 変則日程で会派視察に出かけます。 | トップページ | 富山県高岡市・富山市 視察報告 »